横山 兼三(謙三)
1987年、ソウル五輪予選で敗退して辞任した石井監督に代わり、イタリアW杯を目指すため新たに就任したのが、メキシコ五輪の時の日本代表のGKだった横山謙三でした。
横山監督は、就任当初「1年で韓国に追いつける」として、非常に大胆なメンバー選考を行いました。木村和司、加藤久といった選手は、この時に代表から姿を消し、井原、柱谷といった新しい選手が多く選ばれました。
また、チームのシステムも、当時欧州で流行していた最新の3-5-2システムを導入しました。しかし、当時の日本人選手にはウイングバック専門の選手がおらず、そのため、横山監督はウイングバックには足の速いFWの選手を次々に試しました。しかし、当時の日本に実際に完璧にウイングバックをできる選手はおらず、攻撃と守備のバランスには問題があり、半ば強引に選手をシステムに組み込もうとしていた感は否めませんでした。
イタリアW杯予選までの約1年の間に、日本代表は33試合もの練習試合を行い予選に挑みました。
しかし、香港、北朝鮮といったところ相手にまさかの一次予選敗退を喫してしまいます。以降、翌年のダイナスティカップでは3戦全敗、カズ、ラモス等をメンバーに加えて挑んだ北京アジア大会もベスト8止まりと、日本は結果を残せませんでした。それでも、キリンカップ’91ではクラブチーム相手ながら初優勝を飾り、その年の日韓戦は勝てるのでは?という期待が持たれていました。しかし、日本の戦術を研究してきた韓国相手に日本はここでも敗戦。横山監督のA代表の指揮も、これが最後となりました。
結局、横山監督は結果をのこせないままに終わってしまいましたが、横山監督が代表に呼び寄せた選手達、カズ、中山、黒崎、ラモス、北澤、柱谷、井原、堀池、松永.....、彼等はこれ以降日本サッカーの主軸として活躍していくことになります。
なお、以下の記録は自分自身は1試合も見ておらず、全て記録などの資料を元に制作してあります。そのため、主な公式戦を除いてはクラブチームとの試合は載せていません。また、選手のポジションなども、著しく実際と異なってしまう場合があるかもしれません。
88年の日本代表の記録
(中東遠征、日韓定期戦等)
89年の日本代表の記録
(W杯イタリア大会アジア地区予選等)
90年の日本代表の記録
(ダイナスティカップ、北京アジア大会等)
91年の日本代表の記録
(キリンカップ、日韓定期戦等)
表紙に戻る