岡田 武史
97年の10月4日W杯フランス大会アジア地区最終予選第4戦、加茂監督率いる日本代表はアウェイのカザフスタン戦、日本は1―0とリードしながらカザフスタンに終了間際に同点ゴール許し、引き分けてしまい、勝ち点を計算できる相手から痛い取りこぼしをしてしまいました。
その試合の夜、日本サッカー協会の幹部が集り、緊急会議が行われました。その結果、加茂監督は更迭され、今までヘッドコーチを勤めていた岡田武史が指揮を採る事になりました。
岡田武史は、早大出身で現役時代は古河電工でプレー、日本代表でもセンターバックの選手として24試合に出場しています。日本代表のヘッドコーチとしても、加茂監督の就任当初から、選手と監督との間のパイプ役としての役目を果たしていました。
今回、加茂監督に代わって監督就任の要請を受けた理由も、選手とのコミュニケーションがしっかりしているという事、相手国のデータも把握しているという事などがありました。
岡田監督は、「次のウズベキスタン戦までに悪い点は十分に修正できる」として、ウズベキスタン戦にのぞみましたが、アウェイのウズベキスタンでは終了間際に何とか引き分けるも、苦しいスタートになりました。
また、続くホームでのUAE戦も最後まで、点が奪えず引き分け。一時は自力での2位突破までも、危うい状況になってしまいました。
しかし、そんな中でも岡田監督は、中盤の構成力、選手全員の攻めるという気持ちの現われに徐々に手応えを感じていました。そうしてむかえた、絶対に落とす事の許されないアウェーでの韓国戦、1万人以上の日本からかけつけたサポーターの応援もあり、日本は好調時のプレスサッカーが蘇り、左サイドの相馬、名波のコンビが大活躍、W杯出場をすでに決めいくらかモチベーションが低かったとはいえ、それまでグループリーグ無敗だった韓国を2―0で破り初黒星をつけて、チームの調子を取り戻します。その上、2位を争っていたUAEが星をとりこぼし、自力2位の可能性も復活しました。
そして、最終戦の国立のカザフ戦では、高木、中山ら復帰組の活躍もありカザフを5―1で撃破、Bグループ2位で、Aグループ2位のイランとアジア第3代表決定戦を行う事になります。
そこでも、岡田監督はFWを5人登録し、1―2でリードされている状態からカズを交代させるなど、その5人とも途中で入れ替えて全員使うというの思いきった采配を見せます。その結果、日本はそのカズに代わって入った城がゴールを決めて同点。そして、Vゴール方式となった延長では、その延長から投入した岡野が、Vゴールを決めて勝利!日本はとうとう念願の を決めました。岡田監督の勝ちにこだわった執念の采配が実りました。
11月に行われた抽選の結果、日本はW杯はグループH組、アルゼンチン、クロアチア、ジャマイカと同組になりました。
岡田監督は、それを受けて世界と如何にして互角に戦うかを模索し始めます。98年に入ってからは、最終予選のメンバーをベースに、柳沢、増田、小野、市川といった何人かの新しい選手をテストしたり、システムの変更を試したりもしてました。
その結果、岡田監督はW杯にのぞむ登録選手22人の中に、小野などの若手の選手を入れる一方で、カズ、北沢といったこれまでの功労者とも言うべき選手を外しました。岡田監督は、勝つ可能性を模索した結果こういった結論に至ったのでしょう。
日本が初めて挑んだ世界の舞台、日本はアルゼンチン、クロアチア相手にはいずれも0―1で敗れました。第3戦のジャマイカ戦、日本は2点を先制され、中山が歴史的な1点を奪いますが、結局そのまま2―1で試合終了。日本のW杯は3戦全敗という結果に終わりました。
第1戦、第2戦はどちらかというと強豪相手に善戦したという評価が大勢でしたが、ジャマイカ戦の敗戦で、監督な選手交代が遅い、選手に覇気がないといったような声も多く挙がりました。確かに、「世界の壁」「経験の差」という言葉だけでは済ませてはいけない結果でしょう。岡田監督の指導も、これが限界だったのかもしれません。
しかし、取り敢えずはW杯に初出場した、監督、選手、スタッフ、そしてサポーターのみんなにお疲れ様と言いたいと思います。
この悔しさを、絶対に無駄にする事なく、日本サッカーの未来への糧として欲しいと思います。これまでの4年間にあったような足踏みは決してあってはいけません。
97年10月〜の日本代表の記録
(W杯フランス大会アジア地区最終予選)
98年1〜5月の日本代表の記録
(ダイナスティカップ、キリンカップ、等)
98年6月〜の日本代表の記録
(W杯フランス大会’98、等)
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