西野ジャパンの布陣3


1996年

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マレーシア遠征(1〜2月)

壮行試合〜
〜アトランタ五輪
アジア地区最終予選(3月)

チュニジア遠征(5月)

壮行試合〜
〜アトランタ五輪(7月)

下に描いた布陣の図はあくまでおおまかなものです。
実際の試合とは、選手交代やポジションなどが、若干異なる場合があります。





マレーシア遠征(1〜2月)


日本五輪代表  3―0  ペラ州選抜 
(前園、松原、柳澤)         

     日本五輪代表  2―1  ネグレセンビラン州選抜
(白井、前園)         

     日本五輪代表  2―2  クアラルンプール州選抜
(伊東、松原)         

   日本五輪代表  3―1  セランゴール州選抜
(鈴木(秀)、菊地、城)         






マレーシア遠征布陣  左の布陣が、アジア最終予選の暑さ対策のためマレーシアで行われた、練習試合の際の日本の布陣です。

●この遠征では、久藤が再選出、また、MFの遠藤とFWの柳澤が新たにメンバーに加わりました。

●この遠征の練習の時、小倉が右膝を負傷してしまい、最終予選への出場が絶望的になってしまいました。ここにきてのストライカーの戦線離脱に日本陣営には、一種の暗いムードが漂いました。

●練習試合は本番と同じ、暑い中で中1日のペースで行われました。第1戦は中盤の展開の早さに課題が残る内容でした。また、第2戦はバックアップ選手主体の選手構成でのぞみましたが、これも決していいできとは言えませんでした。第3戦あたりから、ほぼレギュラーメンバーでのぞみ、最終予選の第1戦で、前園が出られない際に用いる布陣も試しました。

●また、この遠征以降、服部、白井、中田、田中、森岡、鈴木(秀)、路木が負傷、松田が原因不明の発熱とじんましんにかかるなど、メンバーの多くが本番が近づいてきた時期に、相次いで、試合に出られるかどうかわからない状況になってきてしまいました。これには、マスコミも「メンバーが揃うのか?」などと騒ぐようになりました。







壮行試合〜
〜アトランタ五輪
アジア地区最終予選(3月)



  日本五輪代表  0―1  エクアドル代表 

 日本五輪代表  1―1  イラク五輪代表
(城)         

  日本五輪代表  4―1  オマーン五輪代表
(中田、前園2、城)         

 日本五輪代表  1―0  UAE五輪代表
(上村)         

     日本五輪代表  2―1  サウジアラビア五輪代表
(前園2)         

日本五輪代表  1―2  韓国五輪代表
(城)         




五輪最終予選布陣  左の布陣が、マレーシアで行われたアトランタ五輪アジア地区最終予選と、その前に日本で行われた最後の壮行試合の際の布陣です。

●メンバーの大半が、当初は試合には出られないと言われていましたが、西野監督は五輪出場がかかった準決勝で、チームがベストコンディションになればいいと考えていました。メンバーの負傷もそれまでには回復できそうだったので、それほど深刻には考えていなかったようです。

●壮行試合の段階で、松田だけはマレーシアへの帯同が無理な事が判明したため、補欠登録だった上村が急遽メンバーに加えられました。上村は、十分にコンディションを整えていたので、とてもいい動きを見せました。

●中盤では、完治には間に合わないと言われていた中田が、驚異的な回復力で壮行試合の段階で、交代出場できるまでに回復しました。そして、前園が出場できない最終予選の第1戦のイラク戦では、中盤の指令塔として活躍しMVPを取るまでの活躍をしました。

●左サイドは、当初ボランチでの起用が考えられていた菊地が入り、無難な働きを見せました。路木は対オマーン戦で、服部も対UAE戦で復帰しました。

●FWは、緒戦は松原と城の2トップでしたが、2戦目以降は城の1トップの形をとりました。松原は、決定機に得点がなかなか決まらず、この時期の試合では精彩を欠きました。

●右サイドでは、遠藤が森岡に代わり入り、スピードのある攻めを見せました。

●また、この時の試合では広長と伊東のドイス・ボランチがとても機能し、攻守の安定したところを見せていました。

●予選リーグを、2勝1分けで突破した日本は、本戦出場がかかった準決勝で、この大会実力ナンバーワンと目されている、サウジアラビアと対戦しました。
「この日のために2年間があった。自分たちのために、自分達のプレーをしよう。」そう言って。西野監督は選手を送り出しました。
日本は、サウジアラビアの攻撃の中心となるエースのFWのO・ドサリには、怪我から回復した白井をマンマークで、O・ドサリにパスを供給するMFのK・ドサリには伊東にマークをさせ、サウジアラビアの攻撃を封じました。
 試合の方は、前半早々に日本はゴール前の城のヒールパスを前園が受け、DF、GKをかわし得点を決め先制。後半序盤にも攻めていった日本は、ゴール前で伊東とのワン・ツーパスを受けた前園が、2点目を決めました。しかし、それ以降は日本はサウジアラビアの猛攻を受けました。77分には、エースのO・ドサリに1点を返されてしまいます。残りの十数分間は、日本人の頭の中には「ドーハの悲劇」の場面が何度もよぎりました。
 しかし、日本はゴール前に集まらざるを得ない状況ながら、川口を中心に幾度となくあったサウジアラビアの決定機を守りきり、ついにホイッスル。日本は、メキシコ五輪以来、実に28年振りの オリンピック本戦出場 を成し遂げました。

●2日後の決勝戦は、韓国との対戦でした。2002年のW杯開催のライバルということもあり、韓国は本戦出場が決まっているにもかかわらず、日本以上に闘志むき出しで戦ってきました。

●日本は、後半1点先制されたあと、城のオーバーヘッドキックで同点に追い付きますがその直後、自陣のペナルティエリア内で鈴木(秀)がファウルを取られ、PKの判定。これを決められ、日本は敗れてしまいました。しかし、日本にしてみれば、それほどモチベーションを高く持てなかった試合だったのは確かでした。







チュニジア遠征(5月)



   日本五輪代表  2―1  チュニジア五輪代表
(三浦、城)         

   日本五輪代表  2―4  チュニジア五輪代表
(秋葉、中田)         




チュニジア遠征布陣  左の布陣が、5月のチュニジア遠征の際の日本の布陣です。

●この遠征では、松波、平野、久藤が復帰し、三浦が新たにメンバーに加わりました。しかし、平野、久藤の2人は負傷で試合には出場できませんでした。五輪出場チームに与えられる、年齢制限のない3人枠は使いませんでした。

●松波は持ち前のポストプレーなどが期待されていましたが、2試合とも不発に終わってしまいました。

●一方で、左サイドの三浦は積極的な攻撃参加を見せ、第1戦では後半、ロングシュートを決めるなどの活躍を見せました。しかし、西野監督は守備面にやや難があるとして、最終的に三浦はメンバーには残りませんでした。

●今回の遠征は、目的がはっきりしていませんでした。アトランタの気候に慣れるための暑さ対策にしては、チュニジアの気候は涼し過ぎました。確かに、チュニジア五輪代表はアフリカ予選2位で本戦出場を決めている強豪でしたが、選手の間からは短期間に同じ相手と2戦もやる必要はない、といった不満も聞こえました。













壮行試合〜
〜アトランタ五輪(7月)


 日本五輪代表  1―2  ガーナ五輪代表
(伊東)         

  日本五輪代表  1―0  ブラジル五輪代表
(伊東)         

     日本五輪代表  0―2  ナイジェリア五輪代表 

   日本五輪代表  3―2  ハンガリー五輪代表
(上村、前園2)         




アトランタ五輪布陣  左の布陣が、7月のアトランタ五輪、そしてその直前の日本での壮行試合の際の日本の布陣です。

●西野監督はこの時、最終予選はじんましんにより出場できなかった松田を、チームに呼び戻しました。松田は、高い身体能力を発揮し、壮行試合のガーナ戦でいい動きを見せ、ブラジル戦ではサビオを、ナイジェリア戦ではカヌーを完封する活躍を見せました。

●アトランタ五輪緒戦のブラジル戦、西野監督はこの試合にチームのピークを持って行きました。ブラジルは98年のフランスW杯を見据えた編成で、ジュニーニョ、ロベルト・カルロス、ベベトといった、A代表の選手も多く含まれていました。この試合に備え、日本陣営はブラジルの布陣、戦術を徹底分析していました。西野監督は、ブラジルの10番のジュニーニョに対し、服部をボランチで起用しマンマークさせました。スピードのある服部は、なんとかジュニーニョに決定的な仕事はさせませんでした。また、ブラジルの何本ものシュートを川口が、堅実な守備と果敢に前にでる積極的な守りでゴールを死守しました。

●試合内容は、予想通りブラジルが日本陣内に攻め込む展開でしたが、後半の27分カウンターで攻め上がった左サイドの路木が、GKとDFの間にクロスボールをいれると、そのボールに対し城が絡んで行き、それに対しブラジルのGKジーダとDFアウダイールがまさかの交錯、ボールは転々とゴールに転がって行き、最後詰めていた伊東がボールをプッシュ、なんと日本が先制しました。
 ブラジルのGKとDFの連携が不安定な事は、日本陣営は以前からの偵察で発見しており、GKとDFの間のスペースがブラジル唯一の弱点と睨んでいました。路木は、そのスペースに可能性を信じクロスボールを上げたのでした。
 また、最後ゴールを決めた伊東も、本来はブラジルの選手のマークをしていなければならないはずで、あの場所にはいないはずの選手でした。しかし、伊東はあの瞬間だけゴールの予感を感じ、ゴール前まで50〜60メートルの距離を全力疾走していたのでした。
 この1点を守りきり、日本は ブラジル激破 の快挙を成し遂げました。いくつもの、幸運が重なった結果の日本の勝利でしたが、日本はこの試合にコンディションのピークを持って行き、わずかの可能性を信じてプレーをしていたし、選手は臆することなく、自信を持ってプレーをしていました。それらの事が産んだ結果でした。

●しかし、歴史的勝利の2日後のナイジェリア戦では、前半は組織的な守備が機能するも、ナイジェリアの選手の高い身体能力の前に日本は徐々に疲労の色が見られてきました。そして後半になると、田中が負傷退場してしまいました。それ以降、日本は守備のバランスが悪くなり失点。後半の終了間際につまらない事から、ファウルをとられPKを取られ2失点を喫し、0-2で敗れてしまいました。

●第3戦のハンガリー戦では、日本はブラジルがナイジェリアに勝った時に備えて、大量得点での勝利が求められていました。しかし、前半早々ハンガリーのセットプレーから失点を喫してしまい、前半はPKで追い付くのがやっとでした。しかも、後半日本はハンガリーの素早いカウンターから再び失点を喫してしまいました。日本はボール支配率では上回るものの、得点を奪えず時間はロスタイムへ。日本、右サイドからのコーナーキック、GKの川口までもが前線に上がって来ていました。それにハンガリーの選手が気を取られていた隙に、上村がコーナーキックをヘッドで合わせて同点ゴール。日本のイレブンは急いで、ボールをサークルに戻し再びキックオフ。イレブンは一丸となって、同点ゴールで気落ちしたハンガリー陣営に攻めこみました。そして、右サイドに切れ込んだ伊東のセンタリングに対し、前園が執念のゴールを決め逆転、勝利をものにしました。
 しかし、結果的に日本はグループリーグで2勝1敗の成績ながら、得失点差でブラジル、ナイジェリアに及ばず、3位となってしまい、決勝トーナメント進出はなりませんでした。

●このチームは、その瞬間を持って解散することになってしまいました。しかし、日本のサッカーの確実な進歩とが証明されたということと、日本が世界を相手にするにはまだ何が足りないか、という事がわかった出来事でした。西野監督は「選手を一人でも多くフランスに送りたい」と言っていました。このチームは、これからに非常に高い可能性を持ったチームでした。




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