西野ジャパンの布陣1


1994年

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ダンヒルカップ’94(2月)
マレーシア国際トーナメント

第45回国際サッカートーナメント〜
〜親善試合(5月)

オマーン遠征(10月)


下に描いた布陣の図はあくまでおおまかなものです。
実際の試合とは、選手交代やポジションなどが、若干異なる場合があります。





ダンヒルカップ’94(2月)
マレーシア国際トーナメント


    日本五輪代表  0―0  U-23 マレーシア代表
 
   日本五輪代表  2―3  ノルウェー五輪代表
(松原、高田)         

   日本五輪代表  1―6  デンマーク五輪代表
(松原)       



ダンヒルカップ布陣  左の布陣が、96年アトランタオリンピック出場を目指し結成された、日本五輪代表の初陣の布陣です。マレーシアで行われました。

●この大会は、日本選手に国際経験を積ませるという目的で日本は参加しました。

●西野監督はこの大会では、自らが監督を務めたユース時代からの中心選手と、Jリーグと大学で評価の高い選手を選びました。

●しかし、怪我人や海外留学組など主力となるべき選手がかなり欠けていました。それでも、西野監督はこの年は、選手個々のチェックと強化に当てようと決めていたので大きな問題はありませんでした。

●シーズンオフの時期ということもあり、選手のコディションは決して良くなく、試合結果も0勝2敗1分けと振るいませんでした。

●そういった中でも、前園はいいコンディションで大会にのぞみ、積極的な動きを見せ、攻撃陣の核として西野監督の信頼をおおいに得ました。

●勝てはしませんでしたが、この時期に強力な相手と対戦したことは非常に大きな収穫となった試合でした。







第45回国際サッカートーナメント〜
〜親善試合(5月)



   日本五輪代表  1―1  TFデュッセルドルフ
(松原)         

    日本五輪代表  0―0  ベルダー・ブレーメン

    日本五輪代表  2―0  ディナモ・ドレスデン
(伊東、松波)         

  日本五輪代表  1(5PK4)1  ハンブルガーSV
(上野)         

    日本五輪代表  3―1  ベルダー・ブレーメン
(松原、森岡、田島)       

  日本五輪代表  0―1  ヴィエルセン05

日本五輪代表  0―2  ボルシア・ 
                メンヘングランドバッハ



国際トーナメント布陣  左の布陣が、ドイツで行われた国際トーナメント並びに親善試合での布陣です。

●この時の試合では、1日に2試合を行うなどの強行日程の日もあったこともあり、遠征に参加した選手全員が試合に参加しています。

●この時から、日本はフォーメーションを3-5-2に変えました。

●前園はこの時期、ファルカンの日本代表に選ばれていたためこの遠征には参加しませんでした。

●この時、新たに広長、上野、望月といった選手が加わりました。特に上野は、持ち前の攻撃センスに加え、この遠征で守備の意識を高く持ち西野監督の信頼を得ました。

●この時の遠征では、ボランチの高田がキャプテンを務めました。高田はディフェンスのリーダーとして、とてもいい動きを見せ、西野監督も次はストッパーをさせようと考えていました。しかし、この遠征後、オリンピック予選の出場選手の条件に、前回の大会に出場した選手は出場できないという条件が加わっていました。高田は、前回のバルセロナ五輪アジア最終予選の対中国戦に、当時高校生ながらわずか15分だけ出場していたため、この条件に引っかかってしまい、西野監督もこれ以降、高田をメンバーから外さざるをえませんでした。

●この時の大会で、日本はテスト段階ながら新加入した選手が活躍し、なんと 優勝 してしまいました。欧州の強豪プロ・予備軍を相手に互角以上の試合を展開し、前途に展望が開けた大会といえました。







オマーン遠征(10月)



日本五輪代表  1―2  オマーン選抜
(城)         

日本五輪代表  2―1  オマーン選抜
(城、松原)         



オマーン遠征布陣  左の布陣がオマーン遠征の際の日本の布陣です。

●この時期、広島ではアジア大会が開催されており相手は、オマーンの代表ではなく選抜でした。そのため、親善試合の色合いが濃いものでした。

●また、大学がリーグ戦の最中ということもあり、メンバーはJリーガーだけの編成でした。また、この時、城、山口、路木といった選手が初めて遠征に参加しました。城は2試合とも得点を決める活躍をしました。

●この遠征は、西野監督にとって中東の雰囲気、サッカーに慣れるということが主な目的でしたが、西野監督はややもの足りない印象を受けたようでした。

●この年の、日本五輪代表の活動はこれで終わりましたが、選手の強化という目標があった年にしては、日程的にも不十分な感じを受けた1年でした。




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