西野 朗
1992年10月、UAEで行われたアジアユース選手権の準決勝、日本ユース代表はワールドユース出場を賭けて、韓国ユース代表と闘っていました。
この時、監督をしていたのが西野朗監督でした。また、その時のユース代表のメンバーには、川口、白井、服部、伊東、城などがいました。試合の方は、1-2で日本は韓国に敗れてしまいました。
その後の、UAEとの3位決定戦、もう勝ってもワールドユースの出場はありません。しかし、西野監督は試合前選手にこう言いました。
「いいか、お前達は次のオリンピックに行くんだ。予選は95年か96年になるかわからないが、そのためのスタートとなる試合なんだ。オリンピックのための第1戦が今日なんだ。」
これを、聞いた選手達は予選で0-2と敗れているUAE相手に3-0で勝利しました。その後、西野監督は、五輪代表監督就任しました。
西野監督は、現役時代は代表でも活躍した名選手でしたが、指導者としては選手の長所を伸ばし選手を育成する事を得意とする監督でした。集まったメンバーも Jリーグの選手を中心に非常に能力の高い選手が集まり、「史上最強の五輪代表」と騒がれメキシコ五輪以来の28年振りの五輪出場が期待されました。
そんな中、西野監督は実に50人以上の選手をチームに呼び試しました。選手のなかには、戦術に合わなかった者、怪我で涙を飲んだ者など様々でした。
しかし、その中で残った選手たちは技能だけでなく精神的な強さも発揮し、28年振りの五輪出場を決めると、五輪初戦のブラジル戦では歴史的な勝利をも収めました。
最終的には、日本は五輪の決勝トーナメントに出場はできませんでしたが、日本サッカーの進歩を証明したと同時に、将来に明るい希望をもたせるチームとなりました。
94年の日本五輪代表の記録
(第45回国際サッカートーナメント等)
95年の日本五輪代表の記録
(アトランタ五輪アジア地区一次予選等)
96年の日本五輪代表の記録
(アトランタ五輪等)
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