左の布陣が、サウジアラビアで行われた各大陸のチャンピオンが集まって行われた、インターコンチネンタルカップでの加茂ジャパン初陣の布陣です。
●ラモス、都並、堀池、松永といったオフトの時に主力だったベテランの選手を多く復帰させています。そのため、選手の平均年齢も27歳代と少し高めになっています。一方では、名塚、山口(敏)といったファルカンの時に代表デビューを果たした選手も使われており、そういう意味ではオフトジャパンとファルカンジャパンをミックスしたような布陣になっています。
●システムは4-5-1のシステムを用い、カズが左の中盤に下がり、山口(敏)の1トップの形をとりました。当初、加茂監督はこの1トップに高木を想定していました。しかし、高木はこの前年のJリーグチャンピオンシップで、アキレス健断裂の重傷を負ってしまい試合参加が不可能になってしまったため、ボールキープのできる山口(敏)を置きました。
●また、山口(素)、柳本、礒貝の3人が国際Aマッチデビューを果たしています。磯貝は負傷したラモスに代わっての出場でしたが、なかなか効果的なパスは出せないままに終わってしまいました。一方で、柱谷とドイスボランチを組んで出場した山口(素)は、守備面でいい動きを見せこの大会で数少ない日本の収穫と言えました。また、柳本もアルゼンチン戦の後半に堀池に代わってのわずかな出場時間でしたが、スピードのあるところをアピールしました。
●この大会では、日本はオフトの時のアジアチャンピオンになったメンバー中心でのぞんだでいたので、当初は期待されていました。しかし、ナイジェリア戦こそ前半は、積極的なプレスディフェンスが効を奏していたものの、後半になるとベテラン選手のスピードが落ちてきてしまい、一方的な展開になってしまいました。それはアルゼンチン戦も同様で、カズが直接フリーキックで一矢報いるも、日本は5失点の惨敗でした。
もう、オフトの時のアジアチャンピオンになったメンバーでは世界には通用しない、そんな印象を持たされた大会でいした。

左の布陣が、日本がディフェンディングチャンピオンとしてのぞんだ、香港でのダイナスティカップ’95のときの布陣です。
●このときの日本には、内容よりも結果、すなわち大会二連破が求められていました。そのため、加茂監督は選手と話合い、選手の意見を多く取り入れプレスを重視した布陣ではなく、比較的、選手に自由にやらせる布陣を敷きました。
●FWはカズがイタリアのセリエAの試合のため、この大会に参加せず、黒崎、長谷川(健)、長谷川(祥)の3人の中から2人が2トップを組みました。印象としては、黒崎と代表デビューの長谷川(祥)の2トップが良かったように思いました。黒崎は、この大会で4試合で4ゴールの活躍を見せ、大会得点王に輝きました。
●中盤では、前園の持ち前のドリブル突破とチャンスメークが光り、地元香港では「カズ以上の才能」と好評価を受けました。更には、第3戦の中国戦では藤田が初代表・初ゴールを決め、将来に期待の持てる働きをしました。また、山口(素)と森保のドイスボランチもうまく機能し、相手の攻撃の芽を摘むと同時に積極的な攻撃参加が見られました。
●最終ラインは右サイドに負傷で代表を辞退した堀池に代わり、柳本がレギュラーとして定着し、再三スピードに乗った突破が見られました。また、左サイドは都並、そして国際Aマッチデビューの中村と名良橋の3人が試され、中村が攻守に安定したところを見せていました。
●この大会で、日本は五輪代表中心の韓国と2戦やって2戦とも同点ながら、最後は前回と同じくPK戦で勝利し、辛くも を達成しました。
左の布陣が、キリンカップ’95の時の布陣です。
左の布陣が、イングランドで行われたアンブロカップでの日本の布陣です。
●基本的には、キリンカップと大きな変化がありませんが、3-5-2のシステムがうまく機能してきた印象がある布陣でした。
●FWは、キリンカップと同様、カズ、中山の2トップでのぞみましたが、決定力にやや課題を残しました。むしろ、中山に代わって入った黒崎の方がいい動きを見せていました。
●MFでは、北澤、森島の2人が豊富な運動量で中盤をかき回し、非常に効果的な働きを見せていました。また、第3戦のスウェーデン戦では藤田がスウェーデン相手に先制ゴールを上げる活躍をしました。
●また、ウィングバックは左の相馬がレギュラーを掴み、タイミングのいい攻撃参加と正確なセンタリングで存在をアピールしました。右は名良橋が入りましたが、相手の攻撃の前に得意のオーバーラップが陰を潜めてしまう場面がしばしば見られました。
●GKは、1試合で1人ずつ負傷してしまい、前川以外に下川、小島の2人が国際Aマッチデビューを果たし、ともに失点は喫するもののまずまずの働きをしました。
●この時の大会は、海外での試合で、しかも日本よりも格上の国が相手だったため、加茂監督にとっては「試合をするからには勝ちに行く」とは言ったものの、選手がどこまで通用するかをチェックする絶好の機会でした。そんな中、初戦のイングランド戦ではサッカーの聖地ウェンブリーで井原が歴史的なゴールを決め、結局は2-1で敗れるも善戦した形となり、2戦目のブラジル戦は完敗はしたものの、第3戦のスウェーデン戦では、日本はサイドチェンジなどフィールドを大きく使った攻撃ができ、前半開始早々、先発2戦目の藤田が先制ゴール。その後、一時は逆転されるも、後半、黒崎が相手のミスをうまくつき、冷静に相手をかわし同点ゴールを決め、ベストメンバーではなかったとはいえ、94年W杯第3位のスウェーデン相手に引き分けという、結果を残しました。

左の布陣が、8月に日本で行われた親善試合での日本の布陣です。
●攻撃陣では、左のMFこの年ルーキーの名波が代表にデビューし、パスワークなどに非凡な才能を発揮、また、初出場で初ゴールも決めています。また、ブラジル戦では、再度ラモスが復帰しましたが、動きに精彩を欠き、フル出場はしたものの結果を残せませんでした。
●また、守備陣では3バックの一角に、やはりこの年ルーキーの林が初出場し、非常に落ち着いた守備を見せていました。
●FWには、バックアップ要員として野口がテストされましたが、プレーの幅がやや狭かった印象がありました。また、この頃から福田がFWに上がり、カズと2トップを組むようになりました。
●この時期の試合は、コスタリカ戦はともかく、ブラジル戦に注目が集まりました。日本のホームで行う事から、イングランドでやった時の0-3よりも、接戦が期待されていたからです。しかし、結果は中盤に入り期待されたラモスがあまり機能せず、また、ブラジルの早い華麗なパスワークの前に、日本は全くプレスディフェンスが掛からず、5失点の惨敗。福田が1点を返したものの、まだまだ世界の壁は厚いという事を思い知らされました。

左の布陣が9月に日本で行われた、デサント・アディダスマッチの第1戦、対パラグアイ戦の時の布陣です。
●登録上は、柱谷、井原、小村の3バックになっていましたが、この試合では柱谷がボランチの位置に入り、山口(素)とダブルボランチを形成しました。
●この時期は五輪代表の活動がなかったため、中盤に前園が一時的に復帰しました。しかし、他の選手との連携がうまく噛み合わず、前園自身の動きも今一つ精彩を欠きました。
●また、この試合では右サイドの沢田、FWの城、岡野の3人が国際Aマッチデビューを果たしています。沢田はスピードに乗った突破、岡野は持ち前の快速、城はゴール前で積極的にシュートを狙いに行くなど、それぞれの持ち味をアピールしていました。
●この時の試合は、Jリーグの合間を縫って行われた試合だったため、選手達には疲労が蓄積していました。試合内容は前半、カズが直接フリーキックから先制するも、後半になって選手たちの運動量がガタっと落ちてしまい、パラグアイに2点を返されての逆転負けを喫してしまい、再び日本の戦い方に課題の残る結果となりました。
左が10月に行われた、デサント・アディダスマッチの第2・第3戦の際に布陣です。この試合の第3戦は、当初ウズベキスタンが来日して試合を行う予定でしたが、ウズベキスタンはスケジュールの都合で来日を辞退、そのため2戦ともサウジアラビアと、試合をすることになりました。
●この時期、小村、山口(素)といった加茂ジャパンの中心選手が、Jリーグでの負傷により代表を辞退、そのため加茂監督はボランチには初代表の本田を柱谷と組ませ、また右のセンターバックにもAマッチ初出場となる秋田を起用しました。また、システムも4-4-2としました。本田は持ち前の粘り強い守備力を発揮、秋田も安定した守りを見せ、セットプレーから得点を上げる活躍をしました。
●また、左サイドではやはり国際Aマッチデビューの鈴木(正)をテストし、GKでは菊地もテストしました。2人とも、恐らくバックアップの選手としてのテストだったと思いますが、無難な出来を見せていました。
●また、この頃から中盤は左に名波、右に森島という布陣が定着してくるようになりました。
●加茂監督の就任1年目は、このサウジアラビア戦に2連勝という形で幕を閉じました。この年は、例年に較べ、サッカー強豪国と戦う機会が非常に多く世界の壁の厚さを、知った年でもありました。しかし、一方では対アジア勢との試合は負けなしという成績でした。
色々とイザコザはあったものの、このことが評価され、加茂監督は年末の日本サッカー協会の会議で、1998年のフランスW杯までの監督続投が決定されました。