ファルカンジャパンの布陣


1994年

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キリンカップ’94(5月)

アシックスカップサッカー’94(7月)

壮行試合〜
〜94年広島アジア大会(10月)


下に描いた布陣の図はあくまでおおまかなものです。
実際の試合とは、選手交代やポジションなどが、若干異なる場合があります。





キリンカップ'94


       日本  1―1  オーストラリア
(浅野)     

    日本  1―4  フランス
(小倉)     


この時期の出場選手の平均年齢 25.28歳


キリンカップ’94布陣  左の布陣が、94年キリンカップのファルカンの新生日本代表の布陣です。

●出場選手が大幅に入れ替わっており、この時、オフトの時から残ったのは7人でした。この時の試合で、前園、小倉、佐藤、岩本、今藤、名塚、本並と7人もの選手が国際Aマッチデビューを果たしています。また、平均年齢も前年のW杯最終予選の時に較べ、実に3歳以上も若返っています。

●ファルカンは、当時のブラジル代表が用いていた戦術を日本代表にも用いようとしました。まず、中盤の底に柱谷と浅野の二人の守備的MFを置くドイス・ボランチと呼ばれる戦術を採りました。また、両サイドの岩本、今藤には積極的なオーバーラップを奨励しました。しかし、裏をとられる場面が目立ちました。

●FWは左にカズ、そのパートナーには長身の佐藤、黒崎が試されましたが2試合とも後半は、小倉がこの位置に入っています。

●この時対戦したオーストラリアは、マラドーナの日本入国問題で出場を辞退したアルゼンチンに急遽代わっての出場で、体調、メンバーともベストではありませんでした。しかし、日本はそのオーストラリアに対して、浅野の直接フリーキックの1点のみで決め手を欠き引き分け、パパン、カントナ、ドゥサイー等、そうそうたるメンバーを揃えたフランスに対しては4失点という結果に終わり、後半小倉が1点返すも、ファルカンジャパンにとって、多くの課題を残す船出となりました。






アシックスカップサッカー’94


 日本  3―2  ガーナ
(名塚、カズ2)       

 日本   2―1  ガーナ
(岩本、カズ)       



この時期の出場選手の平均年齢 25.69歳



アシックス杯布陣  左の布陣が7月に行われた、ガーナとの2試合の際の布陣です。

●この時期は、前園、澤登など代表に選ばれた選手がJリーグでの負傷により、何人もリタイアしてしまうという出来事が起きました。 特に中盤は駒が揃わなくなり、苦肉の策として左サイドの岩本を一列前に上げ、攻撃に専念させました。ところが、逆にこれが効を奏し、岩本は持ち前の突破力を発揮し、代表初ゴールを決めるほどの活躍をしました。

●両サイドには、新たに遠藤、森山の代表デビュー組が入り積極的な攻撃参加を見せました。また、右の下がり目のFWで山口(敏)がやはり代表にデビューし、持ち前のボールのキープ力と突破力をアピールしました。

●また、この試合で高木、北澤、森保といったオフトの時の中心選手が代表復帰を果たし、ファルカンの信頼を大いに得ました。しかしそれは、言い代えれば、やはり経験のある選手の力に頼らなければならないという、当時の日本代表の実情が現われていました。

●この時対戦したガーナは、選手の平均年齢が18.5歳と非常に若いものの、とても能力が高く、日本は2試合とも1点差での勝利という結果におわりました。日本の攻守の連携が、まだいま一つまだかみ合っていないような印象を受けた試合でした。






壮行試合〜
〜94年広島アジア大会


     日本  0―0  オーストラリア


  日本  1―1  カタール
(カズ)       

 日本  1―1  UAE
(高木)       

   日本  5―0  ミャンマー
(柱谷、岩本、北澤、澤登、高木)       

日本  2―3   韓国
(井原、カズ)       


この時期の出場選手の平均年齢 25.42歳


広島アジア大会布陣  左の布陣が、94年広島アジア大会の際の布陣です。

●この時期も、選手を召集する直前になって、山口(敏)、森保、前川といったファルカンジャパンにおいて、主力になりつつあった選手たちがJリーグでの負傷により代表を辞退。そのため、メンバー、フォーメーション共に変化が見られます。

●GKは前川の負傷により、急遽、初代表の菊地がゴールマウスを守りました。初代表ながら、菊地はJリーグでも見せている安定した守備を見せていました。

●ボランチは森保の負傷により、当初はキリンカップの時のように浅野が柱谷と組んでドイス・ボランチを形成するのかと思われましたが、ボランチは柱谷一人で務めました。

●攻撃的MFは、前園、北澤、岩本、澤登の4人の中から3人が使われました。どの組み合わせにも一長一短がり、どの組み合わせがベストとは言えませんでした。ただ、このなかでは、前園が無得点ながら非常にいい動きを見せていたのが、印象的でした。

●アジア大会でのファルカンジャパンには、ベスト4以上、もしくは2002年W杯開催のライバル韓国よりは上の成績というノルマが課せられていました。しかし、予選リーグでは、カタール、UAEといった中東の中堅国相手に先制されながら、なんとか追い付いて引き分けという展開。格下のミャンマー相手に5点を奪い、なんとか予選リーグを首位で突破するという内容でした。しかし、そのミャンマー戦では、日本は得点を抑え2点差以内で勝てば、予選リーグ2位となり、決勝トーナメントで韓国とは決勝戦まで当たらないという選択も選べました。しかし、日本の選手達は韓国を倒して上に行くという気持ちで3点目、4点目と取りに行ったのでした。

●その、選手達が自ら選んでのぞんだ対韓国戦、日本は序盤カズのシュートで先制するも、韓国はサイドの空いたスペースを徹底して攻め、後半に韓国は2点を奪い逆転していました。後半も残り時間が少なくなり、日本敗色濃厚だったそんな中、後半41分井原が約30メートルの目の覚めるようなロングシュートを決め同点に。いっきに日本が勢い付き、日本行けるぞと思ったその直後の44分、何でもない(という風に少なくとも僕には見えた)井原と韓国FW黄善洪(ファン・ソンホン)とのゴール前での接触プレーを審判はファールと判定し、なんとPKに。これを黄善洪にキッチリと決められ韓国は再逆転、日本は敗れ、ファルカンも課せられたノルマを果たすことができませんでした。
 マスコミはこぞって、審判の判定に疑問の声を上げましたがゲーム全体の内容は、韓国の方が組織力の点で一枚上手だったような印象はありました。

●選手の間からは、もう少しこのメンバーでやるべきだ、監督の期間があまりに短すぎる、といった声が挙がりましたが、結局ファルカンは、ノルマを果たせなかったということで、解任されてしまいました。日本代表チームを指導するには、時期が早すぎたのかもしれないと印象がありました。




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