オフトジャパンの布陣1


1992年

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キリンカップ’92(5〜6月)

ダイナスティカップ’92(8月)

第10回アジアカップ(11月)


下に描いた布陣の図はあくまでおおまかなものです。
実際の試合とは、選手交代やポジションなどが、若干異なる場合があります。





キリンカップ'92


    日本  0―1  アルゼンチン

   日本  0―1  ウェールズ


この時期の出場選手の平均年齢 26.13歳


キリンカップ’93布陣  左の布陣がオフトの初采配の、日本でのキリンカップ’92の布陣です。

●この大会は、オフトにとって選手の力量をチェックする場という意味があったようで、オフトはこの2試合で16人の選手を試合に出しています。

●全体的には、横山前監督のメンバーをベースに編成されていますが、それに、都並、勝矢、吉田といったベテランの復帰組、前川、森保といった新戦力を加えています。システムは、5-3-2に近い形を取りました。

●この試合で、森保、前川が国際Aマッチにデビューしています。特に、森保は当時ほとんど無名だったにもかかわらず、豊富な運動両で相手の攻撃の芽をよく摘み、対戦したアルゼンチンの選手に「最も印象に残った選手」という好評価を受けました。マスコミはカズやラモスではなく、森保の名前が出たことに驚きました。しかし、森保は以後代表にかかせない存在になっていきました。






ダイナスティカップ'92


日本  0―0  韓国

日本  2―0  中国
(福田、高木)       

 日本  4―1  北朝鮮
(福田、カズ、高木2)     

日本  2 (5PK4) 2  韓国
(高木、中山)       


この時期の出場選手の平均年齢 26.64歳


ダイナスティ’92布陣  左の布陣が、92年に北京で行われた、ダイナスティカップのオフトジャパンの布陣です。

●右サイドには、堀池が第一戦の韓国戦で負傷したため勝矢が、守備的MFの位置の森保も負傷のため、浅野が入っています。メンバー的には、キリンカップ時と大きく変わっていませんが、この時からオフトはシステムを4-4-2にしました。

●中盤は、吉田が4試合フル出場、他は福田と北沢が主に起用され、ラモスはこの大会では、途中出場で起用され試合の流れを変える効果的な働きをしました。

●この大会では、高木と福田の調子が好調で、特に高木は4点を上げ大会の得点王になりました。また、福田も持ち前のスピードのあるドリブルが光り、2得点を上げる活躍をしました。

●この大会の初戦で日本は、実に22試合ぶりに韓国を0点に抑え、波に乗ると、続く中国、北朝鮮も激破し、決勝で再び韓国と激突ました。結果、2-2の同点ながら最後はPK戦の末に勝利をモノにし、日本は1954年にアジアサッカー連盟ができて以来、海外における国際試合の大会で初の 優勝 を成し遂げました。







アジアカップ’92


 日本  0―0  UAE

 日本  1―1  北朝鮮
(中山)      

 日本  1―0  イラン
(カズ)      

日本  3―2  中国
(福田、北澤、中山)      

      日本  1―0 サウジアラビア
(高木)      


この時期の出場選手の平均年齢 28.25歳



アジアカップ’92布陣  左の布陣が92年の11月に日本で行われた第10回アジアカップの際の布陣です。

●メンバーはダイナスティカップから、浅野が負傷で外れた以外は大きな変化はありません。オフトは、チームのダイナスティカップ時の好調をさらに一段階進めようとしていました。

●堀池、都並が欠場した序盤は、勝矢がその穴を埋めました。また、準決勝の中国戦では、松永が相手選手の頭を蹴ってしまい退場という出来事もありましたが、前川が代わってゴールマウスを守りました。

●また、点が欲しい時はオフトは中山を途中交代で投入し、中山はその期待に答え、北朝鮮戦では同点ゴール、中国戦では逆転ゴールを決める貴重な働きをしました。また、決勝のサウジアラビア戦では、オフトがターゲットマンとして起用し続けた高木が見事なボレーシュートで決勝点を上げました。

●この大会で日本は尻上がりに調子を上げていき、ついに初の アジアチャンピオン に輝きました。オフトの手腕はマスコミに 「オフトマジック」 と評価され、翌年にJリーグ開幕を控えた日本中がサッカーに注目するようになりりました。




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