横山ジャパンの布陣4


1991年

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キリンカップ’91(6月)

日韓定期戦(7月)

下に描いた布陣の図はあくまでおおまかなものです。
実際の試合とは、選手交代やポジションなどが、若干異なる場合があります。





キリンカップ’91(6月)



日本  1―0  タイ
(柱谷)    

      日本  2―1  バスコ・ダ・ガマ
(北澤、カズ)    

          日本  4―0  トットナム・ホットスパー
(阪倉、北澤、カズ2)    



キリンカップ’91布陣  左の布陣が、キリンカップ’91の際の日本の布陣です。

●キリンカップは、この翌年からFIFA公認の国際Aマッチの大会として、海外のA代表のチームを招待して行う大会になるため、クラブチームを招いて行われる形は、この年で最後でした。

●この時の大会では、北澤、浅野がAマッチデビューを果たしています。礒貝は、クラブチームとの試合にしか出場していないので、このときの国際Aマッチデビューはありませんでした。

●この時、日本は組織力が充実し新しく代表に入った選手が、いい動きを見せていました。

●特に、最終戦のリネカー率いるトットナム・ホットスパーとの試合は、カズが2ゴールを決めるなど完璧な試合運びを見せ、日本はクラブチームを招いて行う形では最後となったこのキリンカップで、初優勝 を成し遂げました。日本のサッカーも実力が着実に上がっている事を示していました。






日韓定期戦(7月)


日本  0―1  韓国



日韓定期戦  左の布陣が、長崎での第15回日韓定期戦の際の日本の布陣です。

●この時日本は、キリンカップ優勝の時の勢いがあったのに対し、韓国は選手のコンディションが非常に悪く、日本が勝てるのではというのが大方の予想でした。

●また、日本の実力がどの程度まで上がったのか?韓国にも通用するのか?といった、日本の実力を計る試金石でもあり、横山監督にとっては自分自身の進退がかかっていた試合でした。

●主将の柱谷も試合前、「2点差以上で勝ちたい」と抱負を語っていました。

●試合は、比較的に日本ペースの時間帯が多く、左サイドの福田が攻撃の起点になったり、ラモスのパスにカズや武田が呼応するなど、チャンスは決して少なくありませんでした。
 しかし、韓国はコンディション不良にも関わらず、経験豊かなベテラン勢を多く配した布陣でゲーム全体を支配し、日本の攻守を要所要所で抑え、後半に奪った1点を慎重に守りきり、日本は最後まで点を奪うことができず、敗れてしまいました。点差こそ、0-1だったものの点差以上に内容は完敗でした。

●また、この試合を最後に、日韓定期戦は中止されてしまいます。

●結局、横山監督にとって日本代表の試合はこれが最後となり、総監督としてU-23のバルセロナ五輪代表を指揮したあと、現場から退くことになってしまいました。

●しかし、この時代に選ばれた選手の多くは、このあと日本サッカーの中核として活躍していくことになります。そういう意味は、横山監督の選手を見る目はしっかりしていましたが、最後まで選手に合った的確な戦術が持てなかったということでしょう。




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